「何が実現するか」はどうでもいい

ヒーラーであるMOMOYOさんの動画観ていると、コメント欄に「どうすれば引き寄せを上手くすることができますか?」というものがあった。

 

そういえば、自分も数年前は引き寄せについてあれこれと調べていた事があったが、最近はそういったものには全く関心を示さなくなった。

 

それって何が変わったんだろう?何故関心を示さなくなったのだろう?と思っていると、今日ふと答えのようなものが浮かんだ。

 

自己実現、現実を変える、希望を叶える。

なぜ人は現実を変えて何かを叶えようとするのか?

その根底にあるマインドは「今の自分は『救われていない』」だと思う。

 

今の自分ではない理想の自分がいて、その自分は「救われた」自分なのだ。希望や欲望が叶えられた状態を人は「救われた」と判断する。

 

だからスピリチュアルを「自分を救う事ができるツール」として自身の人生に活用しようとする。

福利厚生を整えてマインドが理想とする「救われた状態」になんとか現実を変えようとする。

 

それが良いとか悪いとか、そういうことではないけど、3次元に意識が向いたままで、言わばテレビの画面に張り付いているような状態は変化しない。

 

このテレビ画面に張り付いたままの状態、これってすごいストレスなんだよね。少なくとも自分にとってはそう。何かを叶えたとしても、また次の問題やら欲求がやってきてキリがない。

 

そして面白いのは、この画面に張りついている状態から抜け出す、画面から離れる、3次元に意識を向けるのをやめる、これが起きると実は自分は既に「救われている」ということに気づく。そもそも自分は「人間」ではないと気づくし、生き死にとか全く関係ないし、何が良くて何が悪いのか、そういうのも何かどうでもいいなってなる。

 

「あっ、自分ってすでに救われてるじゃん、何かを無理に望まなくていいんだ。」このどんでん返しはとても驚愕だし、灯台下暗しって感じ。

 

だから自分にとってスピリチュアルへの捉え方は以下のように変化した。

 

スピリチュアルは「自分を救うツール」ではなく、「既に自分は『救われている』と気づくツール」なのだ。

 

この真実に気づくと自然と何かを叶えようという欲求も無くなっていく。今現在、全ての欲求が無くなったわけではないけど、前よりはかなり落ち着いてきたかな。

 

端的に「何が実現するか」はどうでもよくなるのだ。みけさんのブログ「ソロ•パブリッシュ」にも以下のように書かれていた。

 

統覚視点(私)にとって、高次、マインド、五感で何かが実現していくことは、
まったく副次的で、余技というか、気づきや発見の「ついで」みたいなものです。
実現がいくつかのプロセスをへて(時間をかけて)起きる場合でさえ、
そうするのは気づきや発見の「数を増やす」ためでしかありません。

 

MOMOYOさんの動画の内容というのは基本的にスピリチュアルを用いて現実をうまく生きよう、スピリチュアルをうまく組み込もう、が大元のテーマなんじゃないかと思う。

 

それはそれで一つの視点、芸術作品をどう見るか、ということであって、自分とは違ってても何も問題はない。MOMOYOさんの動画を見て共感出来ることもあれば、できないこともある。それはそれで良い。

 

何故共感できないのか、ということについてスピリチュアルというツールをどう見るかという視点が関係してたことを言語化出来たことは嬉しかった。