非局在感

「非局在」という単語がある。

意味は「どこにもいない」といったところだろうか。

 

何ヶ月か前に購入した「新•ハトホルの書」を久しぶりに読み返すと所々にその単語が出てくる。

そして、何故かその単語の意味が感覚的に分かってしまう自分がいる。

 

「非局在」という単語から感じられる波動、イメージ、それらは自分をとても懐かしい気持ちにさせる。

 

「ああ、自分って元はこんなだったな…。」

「私」は今観ている景色の何処にも存在しない、同時にその観ている景色、環境そのものが「私」である。それが感覚として分かる。私は人間ではない。

 

「今」は人間として制限された世界で生きている…わけでもなく、今この瞬間にも人間ではないのだ。

 

社会があって他人との関係があって…みたいなことも全く視野に入らない。というか考えることもできない。今書いている時点では考えることもできるけども。

 

何者でもないし形もない。それだけ。

そうとしか言えない、何もすごいことじゃないね。

 

非局在感を急に感じられるようになったのは、「新•ハトホルの書」に掲載されている幾何学を用いたエネルギーワークを久しぶりに実施したからだと思う。

 

このワークは個人的にはかなり強力で毎回ビリビリと身体に電気信号が流れる。

 

本当の「私」に還る準備は着々と進んでいる。

いや、進んでいるのではなく「気づいている」だけか。