創造は行為ではない
日本語はあまり得意な方ではないが、「創造」という単語は動詞だったと思う。「う」で終わるから。
走る、書く、投げる、など。これらの動詞は「行為」を表す。主体である「私」がどのような行為を行っているか、その状態を示す言葉。
そして動詞というのは時間的概念が含まれている。
0秒で行為を表現することは出来なく、時間が展開していく中で「走る、書く、投げる」などの行為を表現することができる。
スピリチュアルにおいて「自分の世界は自分が創造している」、「意識が全てを創造している」的なフレーズをよく目にする。
でも感覚的には意識と創造の間には何も時間的経過がない。「意識が創造する」のではなくて「意識が創造そのもの」だ。
つまりは目の前にある景色、テレビ、ベッド、机など、これらが「意識」なのだ。意識が目の前の物を見ているのではなく、意識が物だ。
ワンネス体験をした人の本を読むと「世界が自分そのものになった」と書いているが、「世界」というものはそもそもなく、「意識」しかない。
そして目の前の物が意識だと感じるようになると、「内側、外側」、「観ているもの、観られているもの」という枠もなくなる。
文法の制約というか、「創造」が動詞だとその辺の理解が少しズレてしまいがちだ。何か主体がいてその主体ありきの動詞だから。
創造に動きはない。