「純粋」な願望。「与えたものが返ってくる」の本当の意味。
8月11日のみけさんのブログの「非3次元と願望の実現」を読んでから自分の中でもやもやとしたものがあった。
というのも、この数日自分をサポートしてくれている天使やハイヤーセルフから言語化はされていないが願望や欲求に対する受け止め方のメッセージが漠然と届いていた。
以前までは願望というのは如何に現実で叶えられるか、という「現実(三次元)」に視点を向けたものだった。
ところが最近では願望はあるがそれが現実に対して向けられたものではなくただただ単純な願望、純粋なものへと変化していた。
そして同時期に、みけさんが書かれた願望に関するチャネリング記事を読み、何か願望や欲求という想いには深い意味があるんじゃなかろうかと個人的に思っていたのだがいまいちピンとこない。
チャネリング記事で何を言わんとしてるかも分かるっちゃわかる。要は願望が現実で叶うだろうか、とかどのくらいで?とかそういったぐちゃぐちゃしたことを止めて、ただ単純に願えと、その姿勢が浄化へのプロセスを早めるし、そのために我々は引き寄せの法則だのメソッドだのを教えたんだぞと。
でもなんかこう・・・引っかかるものがあるというか、自分の願望がどんどん純粋になっていったことはもっと何かあるんじゃないかなと。
そして昨日、寝ているときにハッと全てが繋がったような感覚になり、意味が分かった。
現実で叶うとかどうとかを無視した願望。「純粋な願望」というのは、それ自体が叶った願いであるし同時にハイヤーセルフ意識そのものだ。
その感覚は光そのものでワクワク。そしてただそれだけ、純粋なまま。
「与えたものが返ってくる」。純粋な願望というのは、願望を持つということだけですべてが完結している。それだけでその先はない。何故なら願った瞬間にそれが返ってくるから。
今まで自分は3次元で対して願ったものは3次元内で形を持って返ってくるものだと思っていた。3次元で叶わなければ願いの意味はないと。「与えたものが返ってくる」ということは物質的なやりとりの中で、人生という枠の中で生かされるものだと思っていた。
でも純粋な願望というのは願うということ自体が自分自身に与えることであり同時に願望それ自体で返ってきているのだ。
3次元でそれが表現されるかどうか、は全く問題ではないしそれを気にしているということは「世界があって自分がある」という客体思考が働いている証拠。逆に言うなら、純粋な願望でいるときは客体思考ではない。在るだけ。
本当の願望ってただ願うだけで叶うんだよ。願いと叶うに一切タイムラグがない。
それが本当の「与えたものが返ってくる」。与えると同時に返ってきている。
3次元に意識が向いているとこの感覚は一切わからない。過去や未来に意識がぶれているし、どんな行為でも時間を無視してとらえることはできないのだ。
結構前に書いた「創造は行為ではない」とニュアンスは似ている。現実の創造は動詞的な時間推移が一切なく感覚として名詞に近い。
純粋な願望も全く同じであったのだ。そういうことか。
自分の場合、その時間思考を外した感覚を文字にすると「純粋」になるのだろう。
純粋。
純粋。
純粋。
これだけですべてが完結していて、何も法則もしばりもない。