「現実」との付き合い方

「普段」とか「日常」っていう時間が連続している表現の中に自分を落とし込むと、途端に世界は3次元と化す。化けるのはマインドの中だけだけど。

 

当たり前のことが実は当たり前ではなく、自身で作った設定、ハリボテであると気づくのには三次元マインドを外して意識を広く、マインドを自由にしてあげなければいけない。

 

その過程で必要なことは「現実にのめり込まない、注視しない」ってことだ。

 

現実を注視してその場その場の問題に対応していかなければならない、と無意識レベルにまで染み付いている「習慣」とも呼べるべきこのマインド操作は中々簡単に無くせるものではない。

 

でもその習慣に対し少しづつメスを入れていくことで「現実」というものに対してのイメージは着実に変化していく。

 

本来、「現実」に対して何らかのケアを施そうと思ったり、逆に「現実」を憎んで何か復讐を企んだり、そんなことは1mmもする必要がない。

 

ほんとに1mmも。だって夢ってそうじゃん。

例えば、自分が会社員をやってる夢を観たとして、朝起きた時に「あぁ、早くあの夢に戻らなきゃ。じゃないと夢の他の社員に迷惑がかかってしまう」って思ったりはしないでしょ。思っちゃう人は病院行ったほうがいい。

 

なんで思わないのかって、それは「その夢は自分が観てる創造してる」ってことに気づいているから。

 

「現実」ってものもそれと全く同じで、自身が観てる夢があるってだけの話。「現実」という世界に自分とその他大勢の他人がいる訳ではない。

 

 

 

でもそれに気づくのには「覚醒、目覚め、統合」と呼ばれるプロセスが必須だ。光に還るって表現もあるかな。アセンションもそうか。

 

それらは言葉にするとカッコいいし、なんか遠くに行けるような、真理に到達するってイメージもあるかもしれないけど、実際は「夢を見ていることに気づく。」ただそれだけのこと。

 

 

 

そうすると「現実」が何も脅威的ではないし、むしろ今まで自分が「現実」を脅威的に観ていたことに驚愕するよ笑。

 

「現実」に付き合おうとかそういう気持ちもなくなるし、付き合いをやめるとむしろ「現実」が自分に付き合いだすんだよね。なんか色々上手く行くようになる。