労働とは。お金を得るためには。

 

「労働」、「仕事」。

 

これらの単語に自分はとても重いイメージを感じる。重くてモヤがかかっている。

なぜ人は働くのか?なぜ社会なるものがあるのか。

三次元で人間モードをしていた頃(記憶となる波動域)はそんなこと考えたこともなかった。

 

非三次元に慣れるようになってからは、「あれ?なんで自分は労働とやらをしているのだろう」と気にかけるようになった。

 

非三次元意識の状態、ハイヤーセルフ意識の状態というのは基本的にワクワクしていたりスーッと視界が晴れているような雰囲気になる。

が、仕事というプロセスを開始した途端その高い波動はガクーンと落ち、「明日明後日までにこれを終わらせなければ…。」と思考が沸騰し頭痛に悩まされる。

 

なぜ人間は仕事をするのか?それはお金を得るためである。ではなぜお金を得たいのか?それは生活するためには欠かせないから。

だからみんな汗水垂らして働く。嫌でも疲れていても働く。

 

でもそれって三次元的な発想、用は自分とは関係なしに働く法則やルールがあって、自分はそれに合わせていくしかない、という客体思考に他ならないのでは?

 

お金が欲しいなら素直に「お金そのもの」を創造すればいい。お金を手に入れるには基本働くという選択肢以外無いと思い込むからそれがそのまま現実となる。

 

つまり、

労働→お金→生活 となるのを

お金→生活 にしてしまえばいい。

 

お金は労働の対価という暗黙の了解が自分の中にはあって、それがどうしてもお金そのものを創造することを躊躇っていたように思える。

 

みけさんのブログではお金は負債を祓うツールとして生み出された、と書かれていた。

自分も最近「借りの哲学」という本を読み、「負債」という概念は原始社会の頃からあり、それが経済の基礎となっていることを知った。

 

潜在意識レベルにまで「お金は働いて手に入れるものだ」と認識していると、どうしても何もせずお金を手に入れることに罪悪感や負い目を感じてしまうかもしれない。

 

でもその思考こそが三次元意識であり、早急に手放して自分の本来の創造視点に還るべきだ。

 

お金は何も対価を支払わずとも創造することができる。現実とは自分が観ている夢なのだから。