「0」の感覚

例えば目の前にテーブルがあったとして、その上にリンゴが一つあったとする。

 

そのリンゴをテーブルから退かすと1-1=0 となり、テーブルの上は0の状態となる。

一般的にはこれは「何も無い」状態とされているが、0というのは「全て」が始まる前で終わった後であり、∞と同義だ。

 

 

0=∞。

 

この状態では、テーブルの上に現れるのは何か分からない。バナナかもしれないしパイナップルかもしれない。お金かもしれないし戦車かもしれない、平和かもしれないし地獄かもしれない。

 

これは「私」意識にも当てはまる。

身体や思考を「私」としていると常に嵩がある意識状態になる。

 

みけさんのブログのチャネ対話にも同じような事が書かれてあった。

 

必要なものはあらかじめすべてもっているとか、用意されているというと、

モノやお金をギッシリ、ぱんぱんに所有している的なイメージがあるでしょう?

歩くたびにモノやお金や人脈が雲霞のごとく集まってくるとかさ。

私、あなたを通じて地球人の方たちの思考をいろいろ知って、まじ目ウロコだったわよ。

それ、すごい誤解だから。

全次元的にいって、充たされている、豊かであるとは、

何ももっていないことが基本です。

必要なものは、必要な時機に、これはほんとにジャストタイミングで、必要なだけもたらされる。

だから何ももっていなくてノープロブレム。

何かがプラスされるのって、それまでの状態が変化する時機なんだよね。

 

 

「私」の本質は身体でも思考でもなくそれらを創造し見つめている視点。それは0であり、∞である。

 

 

この0の感覚、これをハッとした時に意識するだけでもかなりスッキリする。