夢、醒める

「お喜び様です」瞑想中にこの言葉を松果体に投げかける。何度も何度も…。

 

すると意識が真っ白になりどんどん周波数が上がっていく…上がっていって上がっていって…何もなくなった。

 

「何もなくなった」という思考があるのではなく、文字通り何もない。何もないを感じている。

 

「感じている」この感じを感じている。

感じているだけ、考えは一切ない。

 

目を開けると目の前の景色、テレビ、ベッド、椅子…これらを何も判断せずに感じている。

 

そしてその「感じ」を感じている。

 

「夢…?」ここで一つ思考が沸いた。でも沸いた思考をただ見てる、思考は自分ではない。

 

自分は夢を見ている。目の前の景色、これらはそれらをただ「感じている」その感じそのものから発せられている。

 

「感じ」が感じを発して感じている。

 

これは夢のメカニズムと全く同じである。寝てる時に見る夢は自分が創っている。自分で夢を創ってそれを自分で感じている、観ている。

 

現実というのもそれと全く同じだった…。

なんて簡単なんだ!!いや、こんな単純だったなんて…。

 

夢を夢だと「感じている」。明晰夢

 

現実は自分が観ている「夢」。だから自分自身に起きることは自分の責任、そんなの当たり前にもほどがある。

 

「目を覚まそう」というスピ系の本に書いてあるフレーズ、そういうことだったのかぁ。

 

でもこんな単純なことを今まで封印してきた自分って実はめちゃくちゃすごいと思う。

 

だって普段寝ている時に観ている夢ではいくらでも好きなことができるしそのことに対してなにも疑問はないけれど、現実では「自分は人間で何年生きていて社会で働いていて、いつかは消える存在だ」なんて制限された夢を見続けるってすごい曲芸というか高度なマインドコントロールだ。

 

いやーほんとに笑いが止まらない。

社会ってなんだよ、世間体ってなんやねん。

 

健康とか病とか将来とか過去とかお金とか。

スピリチュアルもくだらねぇな、だってスピリチュアルだって所詮は夢の中の産物。

 

インドの聖人とかパパジとかプレアデスとかシリウスとか天使とか龍とか。

 

別にどこか遠い次元にその方々がいるわけではなく、それらも自分の創造物。自分版宇宙の彼らは自分が創っている。

 

そう考えると自分版宇宙のみけさんがブログでずっと書いていることもよく分かる。客体思考システムはおかしいってのも頷ける。