いつものようにRTLFを持って瞑想。

 

何分か経って目を開けると、目の前にある物とそれを見ている「私」の境界線のようなものを感じられるようになっていた。

 

「私」は空っぽの空洞で、その空洞を作っているのが外側と呼ばれる物質や思考、感情。

 

ドーナツの穴のように、周りがあるから「穴」が存在できる。

 

外側がいくら変化しても内側か変わることはない。ドーナツの種類が変わろうとも穴は穴のままだから。

 

でも外側がなければ内側は生まれないし在ることができない。

 

だから外側は素晴らしいし、美しいし偉大である。