積み重ねるものではない。

地球において何かを成し遂げるというのは「積み重ね」が重要というか基本的なスタンスであるとされてきた。

 

これは霊的な物事にも適用され、インドでは何十年もヨガや瞑想を続けることで悟りや解脱に達するとされている。

 

自分が一時期行なっていたクリヤヨガについても覚醒までおよそ12〜20年ほどの歳月がかかるとされていて、その間、瞑想やヨガを毎日行い霊的な知識を蓄えることが重要視されていた。

 

でもそれはアセンション 前の話であって、今現在ではそのような「積み重ね」よりも如何に今までの固定概念を捨てていけるか、に焦点が当たっているのではないかと個人的に思う。

 

ゼロポにつながるメソッドにおいても同じであり、今日みけさんのブログを見返してて以下のような内容が書いてあった。

 

何度もゼロにつながって、
「たしかにこれはずっとここにあったわ。なんで今まで気がつかなかったんだろ。
物理界と重なってるわ。てか大元じゃん」とわかると、
問題解決であれ、お願いごとであれ、どんなテーマにせよ、
その人なりの応用方法が降りてくるでしょう。
どんどん実験していくなかで、自分のツールができあがっていくと思います。

ただ、これはゼロにつながったり、それを応用したりすることに限りませんが、
真面目になりすぎない、がんばらないということが、意外にも、とても大事です。
がんばって、コンプリートめざしてゼロを落とし込もうとすればするほど、
ムーンウォークするように周波数が落ちてしまい、ゼロから遠ざかってしまいます。

「地球の人ってまじめよねえ。
あたしに物理体があったら、2、3回つながったら“よし、わかった”って、
ゼロにつながれるかどうかってこと自体をゼロに投げ込みそう」
・・・これはアリエ@リラ(琴座グループ)のツィートですが、核心を突いてます。
何度も“融けてる感”としてゼロを体感してみるというのは、
納得するための手段であって、
体感を積み重ねて、加算的に習得に至るという意味ではありません。
自転車に乗れるようになるのと同じで、
一度、乗れるようになったら、もう乗るための練習はしなくていいんです。
このブログやゼロ本(ブログ右「出版案内3」で、
体感からゼロの信号をキャッチすることを勧めているのは、
ともかく実際に乗って、漕いでみないことにはわからないからです。

 

 

自分も気付かぬうちにゼロポについて調べなおしていたり練習をしてみたり、「まだ何か足りないんじゃないか」とスピ系の本を読んだりしてしまっている。

 

そういった不足の意識に気づくことができれば変に焦ったりする必要もなくなる。ドラマに入り込むこともなくなる。