縮小する『私』意識

本来は全ての物事を創り観測している『私』という意識。だが気づくと「人生という時間の中にいて世界があって他人がいて自分がいる」というとても小さい『私』になっている。

 

最近少し忙しく体調も優れない時があり、そんな時自分は物理像にべったり張り付いてしまう癖がある。

「あれは来週からやろう」とか「今日のあれ失敗だったな」とか思考システムがフル稼働し、周波数もどんどん落ちていき、気がつくと将来への不安や社会的な安定を求めてしまっている思考に支配されていた。

 

そんな時、たまたまメモ欄に

 

『存在は人生の断面(瞬間、あるいは場面)ではない。

存在と、人生は、クロスしない。

人生は、存在が夢を見るときの、無数にある夢見の方法のひとつ。

あなたがたが地上にいて見られる夢は、それだけではない。』

 

と、みけさんのブログに書いてあった高次元存在からのメッセージを見て落ちてた周波数がぐーんと引き上がり、べったりくっついていた物理像からも解放された。

 

『存在』。本来の「私」は連続した時間の中にいるものではないし、生き死にのベクトルに収まるものでもない。社会的な影響に支配されることもなければ他人の言動の対象になることもない。

 

それら全てを創り観測しているのが本当の「私」。