物質は「存在しない」

世界があって私がいる。

この当たり前の認識に自分のスピリチュアル的精神は「No!」と反発する。物質なんてものはないのだ。

 

今、目の前に認識される景色がある。

誰かが話していたり、何かに触れていたり。

それらは感覚の束であり、その原点に当たるのは常に自分の意識。自分が全ての感覚の創造主。

 

「現実」と呼ばれるこの感覚の集合体はとても感覚が濃い。固く、重く、常にそこにあるのが当たり前であり、自分がこの場から居なくなっても何も変わらないのであろう、と思ってしまう。

 

でもそれは「そう思う」だけで、その想いが現実を創り出す。用は制限された3次元世界が生まれる。

 

逆に「物質は存在しない。自分が感じている景色があるだけで、自分の感覚が変われば景色も変わる」

と、自身の意識に創造点を置いた捉え方をすれば現実はそのようになる。

 

これらの認識論は論理的な話ではなく、単に感覚が変わるから分かる。ある日、急に「あ、物質って存在しないんだ」と感覚的に分かるようになる。

 

それは自分の意識が広くなり、3次元世界に向いていた視点が少しずつ違う次元に向くようになるからなんだろう。