『生存』と『維持』
『生存』と『維持』。
この二つの言葉から自分はだるさとか重苦しい、といったような波動を感じる。
例えるなら夏休みの宿題を延々とやらされるような重苦しさ。本来は自由に遊べるはずなのに学業に拘束されてしまう面倒臭さ。
なんかそれに近い感じ。
昨日の夜、寝る直前にこの二つの言葉が急に降りてきた。
その二つをボーッと眺めていると、徐々に言葉の裏にある波動も読み取れるようになる。
んで、波動を見てみると…なんか「人工的」って感じがした。
例えるなら、誰も踏み入ったことのない青々とした木々が生茂る森の中に突如、高層ビルディングが建てられていた…みたいな。
要は自然的ではなく「違和感」が勝るということ。
この二つの思考、概念は本来は存在しないはずのものなのだ。「本来」というのは一元的な宇宙、意識状態。
この二つの思考から「現実を注視しなくては」と脅迫的な観念が生まれる。ははぁーよく出来るな。
なんか少し感心したというか感動したというか。
普段意識することもない生活の全てに『生存』と『維持』は潜んでいる。そもそも維持をするための「生活」なわけで。