小さい「私」

実は「私」というものはとても小さかったりする。

それは三次元的な概念、大小のベクトルを用いた時の表現だが。

 

「私」というのは形はなく、個人宇宙が映し出された際にその宇宙を「〜ではない」として否定した側が「私」になる。そして、「〜ではない」そのものにも「〜ではない」がかかり、「『〜ではない』〜ではない」=「〜である」になるので、宇宙=私。

すなわち目の前の景色は全て「私」になる。

 

ドーナツの穴は外側があるから「穴」としてあることができるように、「私」は私ではない外側があるから「私」でいることができる。

 

この関係性を感覚的に気づくことができた時、その感覚を体積のある私(世間一般的に言われる『私』)が翻訳した際にうまれる感想は「小さい」だった。