「存在」に生きる

①「社会に生きる」

客観思考が生み出す「私」に制限された生き方。自分はどこどこに生まれ、どういう学歴でどこの会社に入り、将来はこうなりたくて過去はこうだった…と身体と思考を「本当の私」とし、社会が決めた「人生のルート」のようなものを歩むことが出来れば正解、途中で道を外れてしまえば失敗、という風潮がある。

社会的に生きるためにお金と安定性を求め、他人からの評価を優先的に考える。

 

 

②「人生(自分)に生きる」

これは客観思考が①に比べ少しは緩くなったもの。「自分の価値観は自分で決める」とし、社会的な規範や他人からの評価を気にしたりせず、自分の人生を重視した生き方。時にはスピリチュアルの知識を用いて、自由のために引き寄せを使ったり幸福になろうと「個」を優先として過ごすが、その基本は社会的な安定に根ざしており、社会的生活云々は変わらず続く。

 

 

③「存在に生きる」

社会的な価値観や出来事、客観思考が生み出す「私」には一切振り向かず、この三次元(物理像)の価値観と同一化せず、ただただ「存在」そのものに価値を見出す生き方。存在と人生はイコールで結ばれるものではなく、お金だとか仕事だとかそういうのは何も関係がない。それらをただただ見つめる「私(ハイヤーセルフ)」まで視野を広げていき、意識の次元を上昇させていく。

 

自分にとってこれまでの人生(思考から見た)は①→②→①→②と繰り返した。

 

良いことがあると社会的な生き方になり、嫌なことがあると「個」を重視し、スピリチュアルな知識に頼ってみたり…。

 

でも結局は思考がそれらの価値観を作っていて、そこから離れない限り「生き辛い」とか孤独感に苛まれることになる。

 

「社会」だとか「自分」だとかを全て忘れて「存在」そのものに生きるしかないんだな、とコミットメント(決断)し始めたのがみけさんのブログを見始めてからだった。