ブログタイトルの由来

ブログタイトル

The Turin Horse

 

日本語訳は『ニーチェの馬』です。

これは、 ハンガリーの映画監督 タル・ベーラの最後の作品として2011年に公開され第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (審査員グランプリ)を受賞した作品のタイトルでもあります。私自身、この映画がとても好きで何回も見ているのですが、ブログのタイトルとして使ったのには、他の理由があります。それは『ニーチェの馬』と呼ばれるようになった、ニーチェ自身の逸話にあります。

 

ニーチェとは、ドイツの哲学者です。正直詳しいことはわかりません。彼の本を読んだこともありませんし、哲学の知識も疎いのですが、『晩年のある日、哲学者ニーチェトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首をかき抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られて穏やかに過ごしたという』という逸話を、映画のタイトルから知り、ニーチェという人物を知りました。その後、「ニーチェはなぜ広場の馬を見て精神を崩壊させたのだろうか?」という疑問が私の中にありました。

 

ネットなどを見ても、このことについて触れている方はあまりいません。もちろん、あくまで逸話であるため何か考察しなければならない程の命題でもないと思うのですが、私の中では何か引っかかるものがありました。その後、色々と本を読み私自身の中で一つの答えが見つかりました。

 

ニーチェはなぜ疲弊した馬をみて卒倒したのでしょうか?

おそらく、ニーチェは馬を見て、「人生の無常さ、はかなさ」の様なものを強く感じたのではないかと思います。その時、ニーチェの「自我」は抑圧され、自己価値は崩れ落ち、卒倒してしまったのではないでしょうか。人の心、意識には「自我(エゴ)」と呼ばれる一種のフィルターの様なものがあります。その性質はとても複雑であり、同時にとても醜いものでもあります。そして、なにより今の人類は自我に支配され、自分=自我だと勘違いをしています。今の文明、政治、宗教、文化...etc  これらは自我の性質から生まれたものであり、ゆえにまともに機能していないと私は考えます。

 

ニーチェの逸話というのは、この「自我」の正体を明かす重要な手掛かりになると私は思います。今の人類はもっと「自我」について学ばなければなりません。「自我」と「自己」の違いを知らなければなりません。そういう願いを込めて、『The Turin Horse』というタイトルにしました。